始まりは、3代目のひらめきから

京都の秋の風物詩とも言える「栗赤飯」。創始から100年の時を経た今も多くのお客様よりご贔屓を頂いています。その始まりは3代目の強い創作意欲と一瞬の“ひらめき”からでした

時は大正時代。3代目 鳴海力太郎は「いつか自社の看板となるような創始品を作りたい」と試行錯誤を重ねる日々を過ごしていました。
ある時ふと、店頭に並んだ栗入りの大福が目に止まります。「大福も赤飯も、元々は糯米と小豆。大福に栗が入って美味しいなら赤飯に栗が入っても美味しいはず。」早速試して見たところ、これが大変美味でありました。「これなら大丈夫。」と決心した力太郎青年は一つの広告を打ちます。

「キットヲキニメス、鳴海の栗赤飯」

そして、大正13年9月18日朝7時、暖簾分けを含めた鳴海餅全店で一斉に初売り出しを行いました。
初日に売り上げた数量は、日本人一人が1年間に消費する量に相当する1石(約150kg)。
以降も評判が評判を呼び、秋の風物詩となりました。

3代目の“ひらめき”から始まった「ナルミの栗赤飯」はその後、日々の食事としてはもちろん、お祝い事やお手土産、お祭りの直会や七五三の内祝いなど、
京都の秋の様々な場面でお使い頂くようになりました。
また近年では、百貨店の航空便や催事、ECサイト等での引き合いも頂く様になり、京都を飛び出し、全国のお客様に京の秋の味覚をお届けできるようになりました。

眼の肥えた京の町の人々に親しまれて来た「秋の味覚」を今秋もぜひお楽しみください。

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