栗赤飯の販売を始めた頃の当店は、堀川京極を構成する店舗の一つでした。
写真は弊社に残る当時の堀川京極の姿を写した写真。
かかげられた白いのぼりには「出征」と書かれており、戦中の出征兵士を見送るための人だかりを撮影したものと思われます。
鉄骨作りの布張りアーケードの両脇には様々な店舗が軒を連ね、写真右側には「ナルミ」の文字が見えます。
堀川京極は、現在の堀川通の南行き車線側にも店舗が立ち並び、中立売から丸太町にかけての商店群が構成する「上京随一の繁華街」として繁栄しましたが、戦中の強制疎開政策で取り壊しの憂き目に遭いその姿を消すこととなり、その取り壊し店舗には当時の鳴海餅本店も含まれていたのでした。
現在の堀川通はこの堀川京極を取り壊した後に整備・拡張された姿になります。