この写真は初売りから間もな無い、昭和初期の当店の様子を写したものです。 当時の店舗は、現在の場所から堀川通りを挟んだ向かい側にあり、堀川京極商店街(現 堀川商店街)を構成する店舗の一つとして営業していました。
記録によると昭和初期に、本店横に赤飯専門の新店舗を設けたとされており、周囲に花輪が並んでいることから、おそらくこの写真は新しい店舗の開店記念の様子を撮影したものだと思われます。(中央に見える青年が栗赤飯の創始者である三代目 力太郎)
「ナルミの栗赤飯」の垂れ幕からもわかるように、おそらく栗赤飯の時期に合わせて開店したのでしょう。初売り出しの大正13年からは4~5年ほど経過していると思われますが、すでに多くのお客様に「栗赤飯の鳴海はん」として認知を頂いていた様です。
なお、この店舗は戦時中の政府の強制疎開政策によって取り壊されてしまいます。 以降、復興開店時の際に現在地に移り今日まで営業を続けています。
栗赤飯がさまざまな時代の荒波を越えて、お客様に愛されてきたことが伺える貴重な写真です。