センチュリーインタビュー

自然に倣い、歩んだ100年。これからの100年。

100周年事業のコンセプトである「ひらめき×つながり」をテーマに、ご縁ある仕入れ先さまや、お客様へのインタビューを通じて、栗赤飯の魅力や秘密を様々な角度から紐解いて参ります。第3回目となる今回は「栗赤飯」と同じく、本年開演100周年を迎える京都府立植物園さまへの特別インタビューです。平成22年以来、樹木医として植物園内の樹木の保全育成に尽力され、現在は樹木係長として勤務されておられる中井貞さまに、植物園の歴史や魅力、そしてこの秋にオープンする新エリア「どんぐりの森」について語って頂きました。
(取材日:2024.08.23

記者この度は開園100周年おめでとうございます。
中井:ありがとうございます。宜しくお願いいたします。

記者まずせっかくなので、京都府立植物園について簡単にご説明いただけますでしょうか?
中井:京都府立植物園は日本で最初の公立植物園として、大正13年に京都の北山の地に開園しました。現在、敷地面積は24ヘクタール、甲子園球場6個分ほどの大きさになりまして、植物12,000種類、12万本を栽培展示しており、私たちは”生きた植物の博物館”と表現していますが、品種の保有・展示は国内でもトップレベルの植物園です。

樹木係長の中井さま。樹木医として、主に園内の貴重な樹木の管理されている。

記者:ありがとうごうざいます。私自身もそうですが、京都人にとって北山の植物園というと身近な存在であり、思い出深い、そんな場所です。どういった経緯で誕生したのでしょうか?
中井:そもそもは大正天皇の即位記念に博覧会をする予定で京都府が土地を購入したのだと聞いています。ただ、その後、博覧会の開催場所が岡崎に変わってしまい、用地活用を検討する中で、当時京都市の動物園が先行して開園していた事もあり、植物園の建設に至ったそうです。

 大正初期、博覧会用地検討視察の様子。(出典:京都府立植物園蔵)

記者:まさに大正時代の始まりと共に歴史がスタートした植物園。貴重な樹木を活かす形で造成されたそうですね。
中井:園内に半木神社(なからぎじんじゃ)というお社があるのですが、この境内の森が平安時代以前の山城盆地の植生をそのまま残しているんです。古い時代の京都の自然の姿を今に伝える、歴史的にも非常に貴重な森になっていまして、植物種の保護や研究を行う”植物園”という本来の役割としてもぴったりの場所だったと言えると思います。

造成される前の半木の森(出典:京都府立植物園蔵)

記者:開園当初の植物園はどういった姿だったのでしょうか?
中井:和洋折衷様式の”しつらえ”を初めて形にした、当時の建築設計としては極めて「モダン」でおしゃれな場所だったと言われています。
たとえば「西洋庭園エリア」では、左右対称に花壇を作り、幾何学模様の区切りを設けるフランス幾何学様式や、植物を刈り込んで形をつくるトピアリー手法など、西洋式の作庭様式が使われていました。

記者:西洋式の作庭というのはどういったものなのでしょうか?
中井:西洋の作庭様式を端的に表現すると「いかに自然をコントロールするか」つまり「人の作為や人の手が加わった痕跡をいかに見せるか」という点にあります。逆に、茶室や寺院の庭などが代表される日本の作庭様式は「いかに自然に近づけるか、人の作為を見せないようにするか」を考えます。

記者:なるほど、根本的に違うわけですね。
中井:大正という時代は先ほど申しましたが「モダン」という言葉に代表されるように、明治にかけて流入してきた西洋文化の多くが漸く日本人の生活に深く浸透し始めた時代です。洋服や洋食が一般化するのもこの頃からと言われますが、そんな時代の京都の人々にとって、植物園はとても新鮮で眩しく写ったのでは無いかなと思います。

開園と同時に建設された初代温室。(出典:京都府立植物園蔵)

記者:そんな植物園も、戦時中から戦後にかけて苦難の時代が続いたと伺っています。
中井:そうですね。戦争が始まった辺りから「時勢的に花を愛でる余裕なぞ無い」という事で、園内では芋などの食べられる植物の栽培を始めたり、空襲の標的になるということで温室が取り壊されたりと色々と変化は起こったのですが、それよりも戦後の進駐軍接収の影響の方が大きかったと聞いています。

記者:何が行われたのでしょうか?
中井:敗戦を経て京都に進駐軍が来る事が決まり、将校やその家族のための宅地を園内に作る事になったんです。
その際にはブルドーザーなどの重機によって、施設の取り潰しや樹木の伐採、薬剤の散布などが行われ、後の記録では2万5千本あった貴重な樹木が6千本までに減少していたと言われています。園内の様子もこの時、大きく様変わりしてしまいました。

立ち並ぶ進駐軍将校の住宅、貴重な木々の半数以上が伐採された(出典:京都府立植物園蔵)

記者:そんなことがあったんですね…
中井:もともと進駐軍の要望としては、京都御所の御苑を接収するつもりだったようですが、さすがに当時の京都府も、国民感情としては受け入れられ無いと突っぱねたそうで、その代替案として出たのが当園だったようです。
今でこそ、北山周辺も住宅地が並んで栄えていますが、当時はほとんどが畑でした。そう意味でも、進駐軍としては警備や様々な面で都合が良かったのかもしれません。

記者:ということは、今現在、開園当時の面影を残すエリアは無くなってしまったのでしょうか?
中井:いえ、実は正門周辺のエリア、園内の南側と東側に関しては、まだ開園当時の樹木や”しつらえ”が残っています。例えば先ほどお話した「西洋庭園」などがその代表例です。逆に川端康成の小説『古都』にも描かれた「クスノキ並木」、あそこより北側は完全に進駐軍の宅地エリアになってしまいました。

記者:言葉を選ばず言うと、運良く残ったという感じがします。
中井:そうですね。進駐軍からの返還以降も、ご存知の通り何度か再開発の話が持ち上がってきました。しかし、当園は日本最古の公立植物園です。園内には100年前に植えられたヒマラヤスギや、日本に初めて導入されたシダレエンジュなど、ここにしか無いものが沢山あります。
裏を返せばこれらは一度失うと、取り戻すのに途方もない労力と時間がかかってしまうという事です。再開発やそれに伴う利益も重要だとは思いますが、この園には、そうした考えとは別の価値があると思っています。

正門スグに佇む樹齢100年のヒマラヤスギ。植えられた当時は人ほどの背丈だったとのこと。

記者:正に貴重な財産を管理されておられる訳ですが、中井さまは植物園にはいつ頃から関わっておられるのでしょうか?
中井:15年ほどです。元々はランドスケープコンサルタントという、主に文化財庭園の復元や公園や緑地の設計に携わっていました。その過程でどうしても樹木医の資格が必要という事で、資格を取得しまして、その後も設計の仕事をしていたんですが、平成21年に京都府の植物園の樹木医の募集が目に留まりまして、そこから現在は樹木係長を拝命しています。

記者:なんだか植物園らしい役職が出てきました。どのようなお仕事なのでしょうか?
中井:その名の通り、園内の樹木の保全管理が主な仕事です。園内にある貴重な樹木のほとんどを職員やボランティアのみなさんと一緒に管理しています。

記者:責任重大なお役職ですね。ご苦労も多いと思いますが、どの様な点にやりがいを感じておられますか?
記者:やはり、ご来園いただいた方に喜んで頂いたり、感動して頂いた時ですね。最近は、園内を直接ご案内する場面も多くなり、声をかけていただける機会も増えたので、

記者:中井さんは、まもなくのオープンの新エリア「どんぐりの森」の作庭にも関わっておられます。どういったエリアになるのでしょうか?
中井:「植物の原体験になる場所をつくる」をコンセプトに計画しました。世界中の「どんぐりの木」を集める予定をしておりまして、主に子供さんをメインターゲットに、遊びを通じて自然を感じてもらえるエリアにしたいと考えています。

記者:子供さんをターゲットにされたのには理由があるのでしょうか?
中井:ありがたいことに植物園自体は、年間来園者数が80万人と日本で一番来園者数が多い植物園ではあるんですけれども、やはり子供さんの来園が少ない。動物園や水族館にくらべると、植物は動きませんから、園内の植物を見るよりも先に遊具で遊んで疲れてしまわれるんです笑 でも、せっかくなら子供達にも自然に触れて、感じてもらいたいという思いから、森を作るという発想に至りました。

記者:「木製の遊具」や「どんぐりポスト」なども設置されると聞いています。ここからも”遊び”を重視されているのが伺えますね。
中井:「どんぐり」と一口に言っても、本当にたくさんの種類があるんです。「どんぐりポスト」はそれを知って頂く為の施策の一つですが、やはり”遊び”を通じて植物園や自然の中にいる楽しさを感じてもらうこと。そしてその体験が植物についての興味や関心、魅力発見につながる。そんな場所にしていきたいです。

今秋オープン予定の新エリア「どんぐりの森」は、子供達がより自然を感じられるエリアを目指す。

記者:今回、サポーター制度という形で企業様からの支援を広く募っておられます。鳴海餅本店も現在認定いただいていますが、どういったお考えからだったのでしょうか?
中井:そもそも、この植物園は府民皆さんの財産であって、あくまでも私たちはそれをお預かりした上で、管理し次世代に繋ぐことが最大の使命だと思っています。
その様な意味においても、鳴海餅本店さんのように地域に深く根付いた企業さまとご一緒する事には大きな意味があると思いますし、より多くの企業や団体さまと共に、この財産を守り伝える取り組みができればと考えています。

記者:お話をお伺いして、弊社の栗赤飯もそうですが、やはり「100年続けることの難しさ」という事を感じます。中井さまから見て、100年続いてきた理由はどういった所にあると思われますか?
中井:”自然に倣う”という点に尽きるのではないかと思います。最近の異常気象もそうですが時代によって自然環境、社会環境はどんどん変わっていくものです。その中においてもそれに適応しようとする植物の姿や生態からは、多くのことが学べます。お世話をしながら、自然への理解を深め植物と向きあってきた結果の100年ではないかと思います。

記者:”自然に倣う”素敵な言葉ですね。今後の100年に向けての意気込みをお聞かせください。
中井:コレクションの質を高めていくというのはもちろんですが、いま私たちが植えた植物たちが後世の植物園の姿を作るということは意識しています。まさに開園時に植えられた苗木が巨木となって私たちの目の前に聳えているように。それが10年、20年、30年、そして100年と受け継がれていく。府民の財産である植物園がより豊かなものになるように、努めたいと思います。

記者:最後に読者の皆様、お客様に一言お願いします。
中井:地球環境が大きく変化していく中であっても、やはり植物というのは自然の土台です。それを深く知って頂く場所として京都府立植物園は、次の100年に向けて進んでいきます。ぜひ、新エリア含め多くの皆さんにご来園を頂いて、その歩みをご支援頂ければ幸いです。

記者:本日は貴重なお話、ありがとうございました。これからも微力ながら応援させて頂きます。
中井:こちらこそ、ありがとうございました。


プロフィール
中井 貞(なかい ただし)
経歴:ランドスケープコンサルタントとして、庭園や公園の設計に携わり、平成22年より京都府立植物園に樹木医として着任。現在、樹木係長。園内のおすすめエリアはナショナルコレクションにも認定された『桜品種見本園』。「桜の多様性を見て頂ける全国屈指のコレクションなので是非」とのこと。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP